2009年4月13日月曜日

4月11日(土)トークショー(吉田暁子×ジャクリーヌ・ベルント)が開催されました。

2009年4月11日(土)、東京画廊+BTAPにて作家・吉田暁子×ジャックリーヌ・ベルントの対談トークショーが開催されました。本日はその模様をレポートいたします。





ベルント氏は芸術学や日本のマンガ文化を専門に研究されており、今年の4月から京都精華大学マンガ学部の教授に就任します。二人は去年都内で開催された、東アジアの政治・社会をテーマとしたシンポジウムで知り合い、今回のトークショーが実現されました。ベルント氏は、「理論系の討議が行われるシンポジウムで、アーティストに出会うとは思ってもみなかった」と、非常に驚いてらっしゃいました。吉田は東アジアの美術や日本の絵画をテーマに制作活動を行っているので、こういったシンポジウムなどによく参加をして、日々勉強をしているそうです。




当日は20名ほどの来場者にお越しいただきました。弊社はあまり大きなスペースではないので、程よい人数構成だったと思います。

吉田暁子は日本画の構図に焦点をあて、制作を行っている作家です。西洋画とは違い、日本画は中心点が存在せず、画面の力点が拡散された構図が特徴的です。それは西洋化していない日本美術の唯一の伝統であると吉田は考えており、それを視覚的に認識することにできる作品をこれまで数多く発表してきました。
吉田はこのトークショーで現代美術全体の問題として、批評基準criteriaが欠如している点を指摘しました。それは一般的に、西洋という観念の中で日本美術を捉えているからであり、こういった状況の中で、日本の独自性、創造性の核心に迫ることは難しい、と論じました。吉田は日本絵画独自の特徴である「多視点性」というものを強い基準として制作することによって、日本の本来の独自性が表れるのではないか、と考えているそうです。

ということで、今回のトークショーはこの「基準」ということばがキーワードになりました。確かに現代美術において、明確な評価基準というものは存在しません。しかしこれは非常に難しい問題で、美術だけでなく、現代の文学、音楽においても基準というものは存在しないと私は考えます。






今回お客様としてご来場いただいた美術評論の峰村敏明さん(上写真)もおっしゃっていましたが、基準とは流れる時代の中に存在しているのであり、その時代を生き抜く私たちは、それを冷静に判断することはできないのかもしれません。(ちょうど泳ぐ魚が全体の池を見渡せないように・・・)ポスト・モダニズムを迎えてから半世紀が経過する現代において、その基準はますます見え難くなっています。

批評基準の欠如、、、このテーマに関しては、今回はあまり明確な答えが出されませんでした。しかしベルント氏が述べていたように、吉田暁子の取り組む「多視点で見る作品」は、美術本来の魅力を十分に備えているのかもしれません。それは近代西洋の経済主義によって生み出された商品としての美術ではなく、絵自体の力。コンセプトシートを頼らずに、絵を能動的に見ることによって感じることのできる、美術の不思議な面白さ、なのかもしれませんね~。うまくまとまらず、申し訳ございません・・・・。


ところで、ベルント氏は非常に明快で理論的な意見をバシバシ話してくださいました。見ていて非常に爽快でした。

ご来場いただきましたお客様、どうもありがとうございました。

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